2026年9月16日(水)
9月も折り返し。
予定していた甘夏とデコポンの仕上げ摘果をなんとか目標通り終えることができ、
ホッと一息ついているところです。
作業をスタートした9月初旬。猛暑と水不足、
さらにはチュウゴクアミガサハゴロモの襲撃によってダメージを受けた樹々の姿を見て、
正直なところ「今年は参ったな……」と頭を抱えてしまいました。
例年にない果実の小玉傾向と、落ちてしまった樹勢。当園の経営の柱である甘夏は、
昨年度は約30トンの青果出荷を行いましたが、
今年は確実に収量も単価も下がってしまいます。
👆昨年まで元気に実りがあった甘夏の木。渇水やチュウゴクアザミカサハゴロモの
襲来を受け樹勢が低下。最後に遅れ花を咲かせ一気に枯れこんでしまいました。
直売所や家庭のやりくりに直結するこの現実は、何度経験しても胸がキュッと痛むものです。
それでも、農家は立ち止まるわけにはいきません。
そんなとき、私の頭の中に深く響いたのが、就農1年目の秋に授かった「師匠の教え」でした。
■ 「勝負はもう決まっている」――1年目の失敗と師匠の言葉
1年目の秋も、今年と同じような記録的な不作の年でした。焦る私に、師匠は静かにこう言ったのです。
「この仕上げ摘果の時期で、すでに今年の勝負(収量・品質)は決まっているんだよ。悩んだり後悔してもどうしようもない。目先のことにとらわれず、全体を俯瞰して経営(生活)全般のことを考えなさい」
当時の私は収量が減るのを恐れ、摘果の手を緩めて(少なめに)しまいました。
その結果はどうだったかというと、小玉で品質も上がらず、多くを加工用に回すことに。
さらに収穫作業に多くの手伝いが必要となり、人件費ばかりがかさんでしまいました。
何より、無理をさせた樹々には大きな負担が残ってしまったのです。
「収量を追うあまり、樹も経営も苦しめてしまった」――あの苦い経験があるからこそ、
今年の私は迷いませんでした。
■ 果実を落とす「覚悟」。来年を見据えた決断
今年は徹底した「仕上げ摘果」を行いました。
明らかな小玉や病害虫の被害果はもちろん、普段なら「S・Mサイズ」として残したい果実まで摘み取ります。今残っている質の良い果実に栄養を集中させ、樹の負担を最小限に抑えるためです。
現在、当園の作業道や樹の周りは落とした果実で埋め尽くされています。
本来、摘果した果実は園外へ持ち出すのが鉄則とされています。
しかし、当園は広い面積を基本的に一人で管理しているため、あえて「持ち出さない」という選択肢をとっています(懸念される害獣対策は、園外での捕獲作業で別対応しています)。
一人農業だからこそ、労働力の分配と手戻りのない工程管理も大切な経営戦略です。
摘果を終えたあとは、予定にはなかった尿素やアミノ酸資材の葉面散布を行い、
傷ついた樹々のケアに集中します。 来年(令和9年度産)はみかんの「表年」になる可能性が高く、
たくさんの花が咲くことが予想されます。今年ダメージを受けた樹々に開花の大仕事が重なると、
それこそ致命傷になりかねません。今年の収量を削ってでも、来年の命をつなぐ。
これが私の出した答えです。
■ 「百の生業」をこなす農業の奥深さ
収量減は確かに痛手です。ですが視点を変えれば、早期に収穫や出荷作業を終えられる分、
じっくりと樹のケアや剪定作業に時間を充てることができます。
また、当園では4月中旬から昨年の倍の面積で「一寸ソラマメ」の生産も控えています。
そちらへ集中して力を注げるというプラスの一面もあります。
自然を相手にする農業は不確定要素(変数)ばかりで、なかなか思い通りにはいきません。
よく「百姓」という言葉がありますが、それは単に農家を指すのではなく、
「百の仕事(生業)をこなす」という意味なのだと、こうした局面を迎えるたびに実感します。
今回の決断が正解だったかどうか、答え合わせができるのはずっと先のことです。
けれど、こうした葛藤と判断の積み重ねこそが、農家としての道をつくっていくのだと感じています。
今、足元に転がる摘果された果実を見つめながら、改めて師匠の言葉の重みを噛み締め、今日も園地に向かいます。